バイオグラフィー

CHA-CHA(チャチャ)は1988年にデビューしたアイドルグループである。

メンバー

勝俣州和(リーダー)
愛称・カッチャン、1965年3月12日生、「劇男一世風靡」出身。
元メンバーの堀部圭亮と、1992年に「K2」を結成。現在は様々なテレビ番組に出演し、タレントとして活動中。

松原桃太郎
本名・松原仁。 愛称・マッちゃん、デブちゃん。
1965年9月2日生、「欽ちゃん劇団」の前身である「欽塾」出身。
芸名の由来は萩本欽一が「本名で不祥事を起こすと実家の両親が泣くから芸名をつけよう」と言い出した際、偶然スタッフが桃太郎の衣装を持って横を通り過ぎていった事がきっかけである。
CHA-CHAが解散した後に“松原ひとし”に改名し、元・「おめで隊」の“奈津あつし”こと佐藤あつしと共に、コントコンビ「まんもす・まんもす」として活動していたが、こちらも間もなくして解散。芸能界の表舞台から去る。
引退後は、東京や故郷の新潟で、演出家・イベントの司会業・芸能人養成学校のお笑い講師職などをしていた。:
講談師の神田山陽と顔が酷似しており同一人物との誤解があるが、全くの無関係。

西尾拓美
本名・西尾巧。1967年6月17日生。
1990年から1996年まで、さだまさしの恒例野外コンサート『夏 長崎から さだまさし』に、西村知美乃生佳之らと共に参加。
その西村とは、1997年9月17日に二子玉川の遊園地「ナムコ・ワンダーエッグ」にて結婚した。
芸能界引退後は料理人に転身。 さだまさしの高校時代の親友が経営する渋谷区の南欧料理店『モンペトクワ』の店長として厨房でもその腕を振るっていたが、2004年9月30日をもって閉店してしまった。妻である西村知美によると、店を畳んだ後は米国で日本料理の修行していたという。現在広尾で韓国料理屋「韓屋(ハノク)」を営む。

中村亘利
愛称・ノブちゃん、1970年2月9日生、当時ジャニーズ事務所所属、「少年忍者」及び「おめで隊」出身。
CHA-CHAの解散後、「NOBU」名義でソロCDデビュー。 更に「G-FACTORY」や「G.L.K.T (がらくた)」といったグループでも活動した。
現在は更に「KNOB」に改名し、民族楽器ディジュリドゥ奏者としてライブを中心に活動中。

脱退メンバー
木野正人
愛称・キノちゃん、1968年12月2日生、当時ジャニーズ事務所所属。
1990年に脱退し、アメリカへダンス留学した。 帰国後は阿佐ヶ谷にダンス教室を開いたり、田原俊彦などの振付を担当。また、「MJK KINGS」という個人ファンクラブも開設した。

火野玉男
現・堀部圭亮。パワーズのメンバー。

須間一也
現・須間一彌。パワーズのメンバー。

火野&須間の2名は、最初にCHA-CHAに選ばれたメンバーであったが、まもなく木野&中村との交替で脱退。

草彅剛
1974年7月9日生、ジャニーズ事務所所属。
現・SMAPの一員。
CHA-CHAのメンバーであったが、CHA-CHAのCDデビュー直前にCHA-CHAから脱退。
勝俣州和によると、番組(『欽きらリン530!!』)に草彅がずっといて、草彅が真ん中で勝俣たちが端で踊るフォーメーションをとっていたが、CHA-CHAがCD(「Beginning」CHA-CHA 1988年9月27日発売)デビューすると決まった際、萩本が草彅だけを呼び、「剛は損するからね、あのCHA-CHAには入らなくて良いよ」と話し、草彅が「はい!」と答えCHA-CHAを脱退。(『笑っていいとも!増刊号』2004年8月15日放送分より)

候補メンバー
木村拓哉
1972年11月13日生、ジャニーズ事務所所属。
現・SMAPの一員。
茶々隊のメンバーであったが、レッスンに耐え切れず自分から抜けてしまい、茶々隊として番組デビューはしていない。
萩本から「好きな食べ物何?」と聞かれたので「あ、僕おいなりさんです」と答えたら、「今日から君はおいなりくん」と萩本に言われ、おいなりくんと言われたことが意味わかんなくて、次の日からレッスンに行かなくなった、と木村本人が話した。(2009年さんま&SMAP美女と野獣のクリスマス)

略歴
テレビ番組『欽きらリン530!!』(日本テレビ系)の放送開始に合わせ、前身グループである“茶々隊”が結成された。
(ハガキのネタに“茶々”を入れるという意味から萩本欽一が命名)。

茶々隊のメンバーオーディションは、1987年10月に第1回目が行われた。その時の合格者が松原桃太郎、火野玉男、須間一也の3名。
シミュレーションをするも、番組開始3ヶ月前に萩本欽一から、「3人とも暗い」、「そういうのテレビで受けないから」の一言で、更に数度のオーディションが行われ、前述の3名に加え、勝俣州和、西尾拓美、木野正人、中村亘利、木村拓哉、草彅剛の6名が新たに加わった。

そして番組開始に向けてレッスンが行われた。
萩本欽一曰く「デビュー前は本当イジメに近いぐらいレッスンさせた。言った事が出来ないと3日でも一週間でも同じ事をやらせた。最後には泣き出すメンバーも居た。」という程、厳しいレッスンが続けられた。
そんな中、木村拓哉が耐え切れず自分から抜けてしまい、残りの8名で「茶々隊」として番組デビューした。 
その後、勝俣・西尾・松原・須間・火野・草彅で「CHA-CHA」を結成。
間もなくして須間&火野が、中村&木野と入れ替わり脱退。草彅は「CHA-CHA」のCDデビュー直前に脱退。
メンバー構成(勝俣・西尾・松原・中村・木野)に落ち着き、1988年に「CHA-CHA」としてCDデビューした。その後、1990年に木野が脱退した。

事実上の欽ちゃんファミリーのグループで、浅井企画からデビューした。
初期は冠番組を持つなどアイドルグループとして爆発的人気を誇っていた。
20年近く過ぎて「アイドルグループにいた」ことをいじられるたびに勝俣が「SMAP並みに人気があったんだぞ」と弁明するが、当時を知らない者にとっては黒歴史としか思われていない。

1991年の新春に放送された特番「花の芸能界全部のっとらせていただきます」のワンコーナー『ねるとんね紅鮭団』に出演、西尾拓美は理想のタイプは『西村知美』と答え、「宇部の方言を大切にしているので大変いいなぁ」と西村知美の魅力を語る。この頃から西尾は西村知美一筋だったと思われる。

1992年1月、渋谷公会堂のコンサートにて解散。脱退した木野もゲスト出演した。

ライバルユニットとして、東京キッドブラザース所属の2人によるJA-JA(長戸勝彦、水谷あつし)も結成された。

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