バイオグラフィー
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生年月日
1949年 2月 7日
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出身地
Yokohama, Kanagawa, 日本
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没年
2017年 1月 (享年 67 歳)
青山 ミチ(あおやま ミチ、1949年2月7日 - )は日本の歌手。本名は八木フサ子。
神奈川県横浜市出身。
父親がアメリカ人(在日米軍の黒人兵)で母親が日本人(八木キミ子)のハーフ。
母親は在日米兵を相手にしていた売春婦でもあった(当時は合法)。
1961年、ジャズ喫茶が主催する素人ジャズコンクールで入賞したのをきっかけにポリドール・レコードの目にとまり、翌1962年「ひとりぼっちで想うこと」でレコードデビューした。
パワフルでパンチのある歌声で、ミッチーの愛称で親しまれ、1963年には「ミッチー音頭」が、1965年にはエミー・ジャクソンと競作となった「涙の太陽」が大ヒットした。
1960年代後半には生き別れたアメリカ人の父親を捜そうとしてニュースにもなる。
その後日本クラウンに移籍した。
しかし、不祥事(1974年3月に万引きで現行犯逮捕、1978年10月に覚せい剤で逮捕)が相次ぎ、芸能界から追放状態となる。
その後は長らく消息不明だったが、娘と2人で生活保護を受けながら暮らしていることがTV番組「あの人は今!?」の調査でわかった。
また、アメリカに父方の彼女の異父姉妹に当たる姉がおり、2009年に妹の青山ミチを捜し続けて、彼女の情報提供を呼びかけていた。
「ミッチー音頭」は遠藤賢司と大西ユカリがカバーする代表曲である。
1966年11月発売予定だった「風ふく丘で」は、ヴィレッジ・シンガーズのヒット曲「亜麻色の髪の乙女」の原曲。
レコード会社移籍のトラブルで発売延期になったもの。
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