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バイオグラフィー

  • 活動期間

    1965 ~ 1975 (10 年間)

  • 出身地

    Los Angeles, Los Angeles County, California, アメリカ合衆国

  • メンバー

    • Bryan Art
    • Creed Bratton
    • David Stenson (1965 – 1966)
    • Dennis E. Errol Provisor
    • Denny Ellis (1965 – 1966)
    • Joel Larson
    • P.F. Sloan
    • Rob Grill
    • Steve Barri
    • Warren Entner

1965年にルー・アドラーが興したダンヒルは1970年代中盤までレーベルとしての活動を続け、数々のヒット作を残してきましたが、その得意とした音楽性は前期と後期とでは全く違っています。前期は発足から1967年までで、ルー・アドラーとP.F.スローンがいた時代で、フォーク・ロックを得意としていました。二人が去り、スティーヴ・バリが会社を仕切るようになった後期には、モータウンの影響を受けた躍動感のあるサウンド(いわゆるバブルガム・ポップ)に大きく舵を切っています。

ここでご紹介するグラス・ルーツは前期と後期にまたがって活躍したグループで、ダンヒルのサウンドの変化を体現したような存在です。そしてまた、1960年代にはよくあった、スタジオ・ミュージシャンによるでっち上げグループとして出発しながら、後にはバンドとしての実体を持つようになった点や、ロック界が急速にアルバム志向になっていく流れに真っ向から逆らうかのように、シングル・ヒットを飛ばし続け、なぜかアルバムは全く売れなかったという点など、数々の独自性を持った存在でもありました。

初期ダンヒルのサウンドを支えたばかりでなく、外部のグループにも多くのヒット曲を提供していたP.F.スローン&スティーヴ・バリは、優れたデモ・テープの作り手としても有名でした。彼らの作ったデモ・テープは、その楽曲を採り上げたアーティストによる演奏の手本となったことはもちろんですが、売れ残った楽曲のデモ・テープの中にも完成度の高いものが多く、彼らはそうしたデモ・テープにいい加減なアーティスト名をつけてダンヒルからシングルとしてしばしば発売していました。

そんなシングル曲のひとつに、1965年にグラスルーツ(Grassroots)というグループ名義で発表された「Where Were You When I Needed You」があります。この曲がローカル・ヒットとなると、アーティスト志向の強かったP.F.スローンとしては自らツアーに出たかったそうなのですが、ダンヒルとしてはスローンがツアーに出てしまうとロサンゼルスでのレコード制作に支障が出ることから彼を説得し、新たに雇ったミュージシャンをグラスルーツに仕立て上げることになりました。そこで雇われたのが、サンフランシスコ出身のベドウィンズというグループでした。

スローン&バリらがレコーディングしたバッキング・トラックにベドウィンズのヴォーカリストであるビル・フルトンが歌を吹き込むという形で、まずはボブ・ディランのカヴァー「Mr. Jones」をグラスルーツの正式なデビュー曲として発売し(バーズ以来、ディランの曲でデビューするのはフォーク・ロック・バンドのきまりのような雰囲気になっていた)、第2弾シングルとして「Where Were You When I Needed You」のヴォーカル差し替えヴァージョンが発表されます。

「Where Were You When I Needed You」は見事に全米トップ30に入るヒットとなり、スローン&バリがバッキング・トラックを録音し、ビル・フルトンが歌を吹き込んで発売した曲を、グラスルーツと名乗るベドウィンズがツアーで演奏するというパターンが確立したかに見えました。しかし、ベドウィンズのメンバーは次第に自分達自身の音楽をレコーディングすることを望むようになり、ダンヒルと決裂してサンフランシスコに帰ってしまいます。

そこで、ダンヒルが代わりに雇ったのが、ロサンゼルスのクラブ・バンドであるサーティーンス・フロアでした。彼らは元々はグラスルーツを演じる為というよりも、普通にダンヒルのオーディションを受けて契約したグループなのですが、ちょうど彼らのデビューについての話を進めようとしていた時期に、ベドウィンズの離脱という事件が起きた為、ダンヒルは彼らに新生グラスルーツを演じることを打診します。サーティーンス・フロアはこれを受け入れるのですが、その際、グループ名をグラスルーツ(Grassroots)からグラス・ルーツ(Grass Roots)に変更することを希望しています。ここに彼らのちょっとしたこだわりを見て取ることができます。この希望は受け入れられ、2単語のグラス・ルーツが誕生します。

新生グラス・ルーツは、1967年にイタリアのローグスというグループの「Let's Live For Today」をカヴァーヒットさせ、華々しくスタートを切っています。この曲はローグスのメンバーによるオリジナルなのですが、元はと言えばドリフターズによるリーバー&ストーラー作品「I Count The Tears」を下敷きにしています。ニューヨーク発の作品が、イタリアを経由してロサンゼルスで花開いたという非常に珍しいヒット曲です。

ところが、ベドウィンズの離脱を乗り切ったかに見えた“グラス・ルーツ制作チーム”に再度の危機が訪れます。プロジェクトの屋台骨を支えていたP.F.スローンがダンヒルを離れ、ソロ・シンガーとして独立してしまうのです。

残されたスティーヴ・バリはスローン抜きでグラス・ルーツのプロデュースを続けることになります。バリはスローンと組んでいた頃にはスローンのサポート役に徹してきたようです。スローンとのコンビが解消されたことにより、バリの本来の好みがサウンドに反映されるようになります。彼の好みとはずばりモータウン・サウンドでした。彼が初めて単独でプロデュースした1968年の「Midnight Confessions」はこの嗜好をあからさまに反映したもので、中心的な楽器が従来のアコースティック・ギターからホーン・セクションへと大きく変化しています。

この曲は見事に「Let's Live For Today」を超える大ヒットとなり、新生グラス・ルーツ、ひいては新生ダンヒルのサウンドを決定づけました。その後のグラス・ルーツは「Wait A Million Years」「Temptation Eyes」「Sooner Or Later」「Two Devided By Love」といった同傾向のヒットを次々と飛ばすことになります。

「Midnight Confessions」はカヴァー曲ですが、その後のヒット曲を支えたのはゲイリー・ゼグリー、ハーヴェイ・プライス&ダン・ウォルシュ、デニス・ランバート&ブライアン・ポッターといった新世代のソングライター達でした。そして、グラス・ルーツのメンバー達も徐々に作曲に参加するようになった他、当初はスタジオ・ミュージシャンによるものだった演奏も自ら担当するようになり、後期には編曲も自分達で行うようになりました。

グラス・ルーツによるヒット曲量産のピークは1971年で、この時期には2匹目のドジョウを狙ったスティーヴ・バリがハミルトン・ジョー=フランク&レイノルズをデビューさせ、やはり成功を収めています。

しかし、人気はいつかは落ちるのが芸能界の常。1972年にはグラス・ルーツの人気には陰りが見え始め、1974年にはダンヒルとの契約を切られてしまいます。その後はキャピトル傘下のHavenと契約して再起を図りますが上手く行かず、1975年には解散してしまいます。ほぼ同時期にダンヒルのレーベル活動が停止しているのがなんとも因縁めいています。

グラス・ルーツのギタリストだったウォーレン・エントナーはその後マネジメント業に転身し、クワイエット・ライオットをデビューさせています。ヴォーカリストだったロブ・グリルはソロ・アルバムを1枚発表した後、グラス・ルーツの名前を復活させ、オールディーズ・サーキットを回っています。

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