バイオグラフィー

  • 生年月日

    1942年 2月 11日

  • 出身地

    Waxhaw, Bolivar County, Mississippi, アメリカ合衆国

  • 没年

    2016年 1月 8日 (享年 73 歳)

ーティス・クレイ (Otis Clay 1942年2月11日-2016年1月8日 ) は、米国のソウル・シンガー。1970年代にハイ・レコードより"Trying to Live My Life Without You"などのヒットを生んだ。ゴスペル畑出身の経験に裏打ちされた力強く、表現力豊かな歌唱法で人気を得、ディープ・ソウル、シカゴ・ソウルの代表的な歌手の一人として知られる。

クレイは、ミシシッピ州ワックスホーに生まれた。当初はゴスペル・シンガーとして活動を開始する。モーニング・グローリーズ、クリスチャン・トラベラーズといったグループで経験を積んだのち、1957年にシカゴへ移住。シカゴでは、ピルグリム・ハーモナイザーズ、センセーショナル・ナイティンゲールス、ゴスペル・ソングバーズなどのゴスペル・グループに参加した。

1965年、クレイはソウルミュージックへ転向し、ワンダーフル・レコード (One-Derful Records)と契約。1967年には、同レーベルからの"That's How It Is (When You're In Love)"がR&Bチャートの34位を記録するヒットとなった。

1968年、ワンダーフルからコティリオンへ移籍。フェイム・レコードのリック・ホールをプロデューサーに迎え、サー・ダグラス・クインテットのカバー"She's About A Mover"をレコーディングした。

同年、クレイはハイ・レコードのウィリー・ミッチェルと出会い、彼のキャリアのピーク期とも言えるハイ時代が始まった。ハイでは、1972年に"Trying to Live My Life Without You"が自己最高のR&Bチャート24位を記録したのを始め、"Precious Precious"など彼の代表的なレパートリーとなる作品を残した。

1975年、クレイはシカゴで自己のレーベル、エコー・レコードを設立。1978年にはO.V.ライトの代打という形で初来日を果たした。このときのライブがレコード化され、日本での人気定着にきっかけとなった。1983年の来日公演もレコード化されており、ここではサザンオールスターズの"いとしのエリー"が取り上げられている。

1980年代以降は、ブルズアイ・ブルース、ブラインド・ピッグといったレーベルから作品をリリースしており、2006年にはジャパン・ブルース&ソウル・カーニバルのヘッドライナーを務めるなど、活躍を続けている。

2016年1月8日、心臓発作のため急逝。享年73。

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