Hamburg, ドイツ (1833 – 1897)
ヨハネス・ブラームス(Johannes Brahms, 1833年5月7日 - 1897年4月3日)は、19世紀ドイツの作曲家、ピアニスト、指揮者。バッハ(Bach)、ベートーヴェン(Beethoven)と共にドイツ音楽に於ける「三大B」と称される一人である。ハンブルクに生まれ、ウィーンに没した。作風は概ねロマン派音楽の範疇にあるが、古典主義的な形式美を尊重する傾向も強い。 多くの人は、ブラームスをベートーヴェンの後継者として捉えており、指揮者のハンス・フォン・ビューローは彼の交響曲第1番を「ベートーヴェンの交響曲第10番」と評した。 ハンブルクで生まれる。彼に最初の音楽レッスンを行った父は、市民劇場のコントラバス奏者であった。ピアノの早熟な才能を現し、10歳で作曲家でピアニストのエドゥアルド・マルクスゼンに師事。レストランや居酒屋でピアノを演奏することによって家計を補った。 ブラームス自身はピアニストとして確かな腕を持っていたが、同時代の名手と比べると地味な存在であった。演奏活動は行っていたが後に作曲専業になることを決意してほとんど演奏活動からは手を引く。しかしながら、1859年と1881年には、ピアノ協奏曲第1番とピアノ協奏曲第2番の初演を自ら行っている。 その後、作曲を始めたが、1851年になるとすでに自己批判から作品を廃棄し始めていた(19歳以前の作品は記録が残るのみでまったく現存しない)。1853年にハンガリーのヴァイオリニスト・エドゥアルト・レメーニと演奏旅行に行き、彼からジプシー音楽を教えてもらったことが創作活動に大きな影響を及ぼした。この演奏旅行中に J. ヨアヒム、フランツ・リストとロベルト・シューマンに会って作品を見てもらった。シューマンは、「新しい道」と題する評論を「新音楽時報」誌に発表してブラームスを熱烈に賞賛し、聴衆にブラームスの作品を広めるために重要な役割を演じた。ブラームスは、14歳年上のシューマンの妻クララを知り、1854年のシューマンの投身自殺未遂と2年後の死以降も、生涯に渡って親しく交流を続けることになった。1855年ごろのクララへの手紙の中で彼女のことを「君」と表現するなど、恋愛に近い関係になったと推測される時期もあったようだが、ブラームスが彼女と結婚することはなかった。アガーテ・フォン・ジーボルトという娘(いわゆる『シーボルト事件』で著名なフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトの従兄弟の子に当たる)と婚約しながら… もっと読む
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