このアーティストについて
Anna Prucnal
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アンナ・プリュクナルは1940年12月17日ポーランドのワルシャワ生まれ。 ワルシャワのショパン協会付属音楽学校で声楽を学んだ。 1961年「太陽と影」と題するブルガリア映画を手始めに、東ヨーロッパ各国で10年間に9本の映画に出演し、20歳のころには人気スターになっていた。 1971年パリに移住後、舞台や映画に出演。 1974年、映画「スィート・ムーヴィー」が社会主義政権の逆鱗に触れ、故国の門戸は閉ざされる。 1982年「ワルシャワの熱い魂」日本で発売。(1979年11月パリのテアトル・ド・ラ・ヴィル公演のライヴ) レコード帯は「シャンソンは生きていた。パンク以上に衝撃的な、ロック以上に今日的な、ポーランドから来た衝撃波、アンナ・プリュクナル、デビュー!」 1982年「東の夢・西の夢」が来日記念盤として発売。12月の来日公演(草月ホール)はFMでもオンエアされた。 1984年「愛しかない時」発売。再来日を果たす。 1985年2月4日NHK総合テレビ「徹子と気まぐれコンチェルト」がオンエアされる。「時の過ぎゆくままに」「愛しかない時」を披露。 1985年にテレビ朝日の招聘で来日。 1989年ポーランドの国外追放処分が解け祖国で公演。 Discography;22作品(1967年から2006年) Filmography;26作品(1962年から2005年)
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アンナ・プリュクナルは1940年12月17日ポーランドのワルシャワ生まれ。 ワルシャワのショパン協会付属音楽学校で声楽を学んだ。 1961年「太陽と影」と題するブルガリア映画を手始めに、東ヨーロッパ各… もっと読む
アンナ・プリュクナルは1940年12月17日ポーランドのワルシャワ生まれ。 ワルシャワのショパン協会付属音楽学校で声楽を学んだ。 1961年「太陽と影」と題するブルガリア映画を手始めに、東ヨーロッパ各国で10年間に9本の映画に出演し、20歳のころには… もっと読む