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このアーティストについて
上田正樹
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父は医師。京都市で生まれ、その後兵庫県姫路市から岐阜県高山市へと移り、岐阜県立岐阜高等学校に入学するが、在学中から音楽に夢中になる。その後神戸市に移り、兵庫県立福崎高等学校卒業。 1972年12月「金色の太陽が燃える朝に」でデビュー。1975年、上田正樹とサウストゥサウスとして「この熱い魂を伝えたいんや」(バーボンレーベル)を発表し、注目を浴びる。その一部は、上田正樹と有山淳司名義の「ぼちぼちいこか」(バーボンレーベル)としてリリース。 1970年代屈指のロックイベント『8・8ロックデイ』に出演。1976年、泉谷しげるの『家族』(フォーライフ・レコード)のレコーディング・セッションにピアノパートで参加。フォークシンガーの三上寛などとも交流していた。1976年7月に同グループ解散後、ソロデビュー。 1977年11月12日に大麻取締法違反容疑で逮捕されている。 その後、1982年にリリースした「悲しい色やね」(作詞:康珍化、作曲:林哲司)が有線放送から火がつき、翌1983年にかけて日本における自身最高のヒット曲となった。1988年公開の映画『悲しい色やねん』では主題歌となり、本人も出演している。 2000年、『FOREVER PEACE〜duet with REZA』がインドネシアやマレーシア、韓国でヒットする。
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父は医師。京都市で生まれ、その後兵庫県姫路市から岐阜県高山市へと移り、岐阜県立岐阜高等学校に入学するが、在学中から音楽に夢中になる。その後神戸市に移り、兵庫県立福崎高等学校卒業。 1972年12月… もっと読む
父は医師。京都市で生まれ、その後兵庫県姫路市から岐阜県高山市へと移り、岐阜県立岐阜高等学校に入学するが、在学中から音楽に夢中になる。その後神戸市に移り、兵庫県立福崎高等学校卒業。 1972年12月「金色の太陽が燃える朝に」でデビュー。1975年、… もっと読む